飛空都市に、夜がきて、もう外は真っ暗。
ぼくは、夕食が終わって、お腹がいっぱいになっちゃった。
（食べる前は、あんなにお腹すいてたのに・・・。ちょっといっぱい食べ過ぎちゃったかなあ。）
ぼくは、少し重くなっちゃった体を休めようと、ベッドに寝転んだ。
（ふう・・。明日の準備もしなくちゃいけないし、ちょっとだけひとやすみしよう。）
明かりをつけたまま、瞳を閉じると、すこしまぶしい。
ぼくは明るさをやわらげようと、右手の甲で瞼を覆った。
− 明かりを消したら、本当に眠ってしまうからね。
（アンジェリーク・・。）
ひとりになると、自然に思い浮かべてしまう名前。
誰か他の人が居る時には、極力思い出さないようにしてる。
だって多分、人前で思い出してもぼく、顔が赤くなっちゃったり、思い出し笑いしちゃったり、ひとりごと言っちゃったりしちゃうもん。
− もっとも、もう既にそういう場面をゼフェルやランディに見られちゃって、変な顔されちゃったんだけどね。
（アンジェリーク・・。早くまた会いたいよ。そして・・。）
きゅんっ。
ぼくの心臓がまたドキドキしてきちゃった。いつも思い出しちゃうと、恥ずかしさと嬉しさで、ぼくの顔はとっても熱くなっちゃう。
アンジェは、ぼくのことを好きだ、って言ってくれたんだ。
それに、初めてのキス。
アンジェリークのやわらかいほっぺと、おいしそうな桃みたいな色の、可愛くてきれいなくちびる。
ぼくは、まだアンジェの答えをまだ聞いていない時だったのに、彼女にキスしちゃったんだ。
きっかけは、些細なことだったんだけど、そう、転びそうになったアンジェを助けようとして、ぼくが思わずアンジェを支えた時。
思いもかけず、アンジェとばっちり目があって、すこし赤くなっていた頬を見て。
ぼくも何がなんだか分からなかった。気がついたら、アンジェのくちびるを奪ってしまってたんだ。
二人で飲んだココアの味と、アンジェの髪の香り。そして、柔らかい感触。
今でも鮮明に覚えてるんだ。
アンジェはあの時、優しくぼくに応えてくれた・・。
もちろん我に返った後は、ちょっとびっくりした、って怒ってたけど。
− キスがあんなに気持ちいいなんて。
ぼくの心は君への恋心に占領されちゃった。
ふわふわ、ふわふわ。
恋の魔法にかけられて、ぼくの心はなんとなく、雲に乗って浮かんじゃってるみたい。
（アンジェとまたキスしたい。）
今のぼくたちの立場を考えると、やっぱりいけないことだって、分かってるんだけど、
ぼくのアンジェのことが好きな気持ちは、止められないんだ。
アンジェリークをひとり占めしたい。
もし、ぼく以外の人にアンジェが抱き締められたりしたら・・。
ぼくは、きっと嫉妬のあまり、おかしくなってしまうよ。
お願い、アンジェ。ぼく以外の人と、あんまり仲良くしないで。
（− あれ？誰か来たみたい。）
夜中ではないけれど、お客さんが来るには、ちょっと遅い時間だよね。
「お〜い。マルセル。まだ起きてるだろ。開けるぜ。」
聞き慣れた声に、ぼくは起き上がって、ドアの方を見た。
「・・・ゼフェル・・。どうしたの？こんな時間に。」
「俺も、いるんだよ。ごめんな、マルセル、こんな時間に。こいつが今日どうしてもって言うからさ。」
ゼフェルの後ろから、ランディが申し訳なさそうに、顔をだした。
「あー、そうかよ。イヤだったらおめーはさっさと帰れよ。フーセン野郎。」
「な、イヤだなんて言ってないだろ。だいたいおまえは・・。」
「はいはい。」
また二人がまったく意味のない口論を始めたので、ぼくは疲れた声を出しちゃった。
人の家に突然来て、ケンカするのはやめてほしいよね。
「ぼくのことは、いいから。何が用なの？教えてよ。」
ぼくは、ベッドからすっかり起き上がって、ふたりの方へ歩いていった。
「・・これだよ。この間、おめーが見てみてえって言ってた映画のビデオ。持ってきてやったから、今から見ようぜ。」
「え？・・いまから？」
（なんだ、そんなことなの。）
ちょっと、拍子抜けしちゃった。
「イヤなら、いいんだぜ。だけど、もう持ってきてやんねーからな。」
「おい、ゼフェル、急に来たんだから、そんな言い方することないだろ！」
「いいよ。ランディ。・・ゼフェル、ありがとう。じゃあ、いつものお部屋に行ってて。もう少ししたら、ぼくも行くから。」
ここでゼフェルを怒らせたって、何もいいことはないからね。
とりあえず、何だか今夜は、３人でビデオ鑑賞会をすることになっちゃったみたい。
せっかく、アンジェのこと考える時間ができたと思ったんだけどなあ。
（うわっ・・・。）
ちょっと、もうガマンできないや。
「ね、ねえ・・・。ゼフェル。」
「・・・。」
「ゼフェルってば！」
「な・・・何だよ。・・今いいとこなのに。・・？・・どうしたんだ？」
ゼフェルは、驚いてビデオの停止ボタンを押して、こっちを向いた。
ランディはもう気持ちよさそうに寝ているので、ぼくとゼフェルの会話には気付かなかったみたい。
「・・ぼく・・、その・・。やっぱり今日あまり映画とか見れるような体調じゃないみたい。・・悪いけどまた別の日に見るから、貸してもらっちゃダメかなあ？」
「え？・・・どっか具合悪いのか？・・どうしたんだ後ろ向いたりして。気分でも悪いのかよ。」
「ううんっ！・・だいじょうぶ！・・ぼくは寝室に戻ってるから、ゼフェルはここで見ていて？・・じゃあねっ！」
「お、おいっ！」
ぼくは、顔が赤くなってしまっているのを隠しながら、逃げるように寝室に戻っていった。
☆ ☆
別に、エッチな映画というワケじゃあないんだ。
でも、普通にラブ・ストーリーも入っている映画だから、やっぱりベッド・シーンもあったりする。
それは、今のぼくには刺激が強すぎるんだ。
前までは、そんなに意識したことはなかった。・・ゼフェルに付き合ってちょっとエッチな映画だって見たことはあるよ。ぼくだって。そんなに積極的にと言うわけじゃないけど、興味はないワケじゃないからね。
でも・・・。
どうしちゃったのかな、ぼく。・・女の人がアンジェとダブってしまうんだ。甘い声が聞こえてきて、白い細い肩が、波打って。
アンジェのふわふわな髪の毛が、きらきらと揺れる。・・瞳は閉じられて、長いまつ毛が震えるんだ。そして、桃色のくちびるは。
（だめだめだめ！・・アンジェにこんなことしちゃダメだよっ！）
ぼくは、想像の中でアンジェをどんどん汚してしまう。
大好きだからこそ、抱き締めたい。・・だけど大好きだからこそ、アンジェを汚したくはないんだ。本当に。
−−愛し合う事が、汚い事だと思っているワケじゃないよ、もちろん。ただ、気持ちがいい事だけが優先するのは良くないんだ。絶対に。
心の底から結ばれたいと思う時じゃなきゃあ・・。
（きゃっ！）
ぼくは、自分の体が、想像の先を求めていることに改めて気が付いた。
「・・もう寝ちゃうっ！」
もやもやする気持ちを振り払おうと、ぼくは明かりを消して、ベッドに潜り込んだ。
（アンジェリーク・・・好きだよ。大好き・・・）
そういえば、今週の日の曜日は、ぼくの家の近くの森に、連れていってあげる約束してるんだったっけ。・・何だか恥ずかしいなあ・・・。どんな顔して会えばいいんだろ。
さえずる鳥達のかわいい声。
そよそよと風に吹かれて、大きな木の枝が揺れてる・・。
空は青くて、ロザリアの髪の色みたいにきれいだし、木漏れ陽がきらきらと、マルセル
さまのさらさらな髪にはじけて、とってもきれい。
今日は日の曜日。
私はマルセルさまに連れられて、マルセルさまのお気にいりの場所に連れてきてもらったんです。
マルセルさまの家の近くの、小さな森。
ひとりでは来ちゃいけないところなんだけど、今日はマルセルさまが一緒だから、大丈夫なんですって。
さすが、緑の守護聖様のお気にいりの場所だけあって、とっても素敵な場所なの！
マルセルさまは、森の中で休憩するのに絶好の場所に連れていってくれました。
私は１本の大きな木のそばに、レジャーシートを敷いて、こっそり作ってきたサンドイッチを広げました。
「わあ！おいしそう！これ、アンジェが作ってきてくれたの？うれしいなあ。」
マルセルさまはとても嬉しそうに、サンドイッチを平らげてしまったので、私は小さな保冷バッグを開けると、デザートの容器を出して、マルセルさまの目の前に出しました。
「あー！プリンまで？・・すっごーい！」
ふふ。とっても嬉しそう。・・・やっぱり作ってきて、良かった。
☆ ☆
「はあ・・・。お腹いっぱい。なんだかいい気持ちだねえ。」
マルセルさまは、木に寄りかかって空を見上げている私の隣に、ひょいっという感じでいらっしゃると、私の肩にこてんっと頭をくっつけて、瞳を閉じました。
「あ・・あの。マルセルさま。」
長いまつ毛と、きれいな横顔を見ているうちに私はなんだかドキドキしてきてしまいました。・・・あの日にした、初めてのキスを思い出しちゃったから。
（どきどき、静めなきゃ。）
音が聞こえちゃったらどうしよう。恥ずかしいな。
あの日の、マルセルさまとのキスは、甘いココアの味がしたの。心の中に、とってもあったかい気持ちがうずうずムズムズしちゃって。
・・・すごく嬉しかった。
ふと、マルセルさまは大きなすみれの色をした、きれいな瞳を開くと、まだドキドキがおさまっていない私の方をまっすぐに見て、衝撃的なことをおっしゃられたのです。
「ねえ。アンジェ。キスしてもいい？」
ぼーっとしていた私には、あまりにもびっくりする、いきなりの一言でした。
☆ ☆
アンジェは、本当に真っ赤な顔をしていた。きれいな緑色の瞳をうるうるさせて、すっごくびっくりしていたんだ。
（やっぱり、こんなにハッキリ言ったら、ダメなのかなあ。）
ぼくは、アンジェが大好きだから、アンジェがイヤがることはしたくない。
だから、ぼくは正直に言おうと思ったんだ。このあいだみたいに、いきなりしちゃって、アンジェがぼくを警戒しちゃったら、イヤだもん。
「あ・・アンジェ？」
ぼくが不安になって、もう一度アンジェの名前を呼ぶと、アンジェは、瞳を伏せて、小さくコクリと頷いたんだ。
☆ ☆
肩に回された手は、少し熱くなっていました。
マルセルさまの、くちびるが、そっと頬に触れると、私は反射的に瞳を閉じました。
（あ・・・）
唇を重ねた瞬間、私の体がびくっと反応しているのがわかりました。
（私もキスしたかったんだ。）
恥ずかしい。けれど、大好きな人と触れ合う事が、こんなに嬉しい事だって、知ってしまったから、もう止められないの。
（プリンのカラメルの味・・）
−−もっと、深く、あなたを知りたい。
お互いそんな経験もないのに、私達はいつの間にか、優しくお互いの舌をからませていました。
「・・・んっ・・」
離れたくない。止めないで。・・私は恥ずかしさも忘れ、マルセルさまとのキスに、身も心もまかせてしまっていました。
☆ ☆
ようやくぼくはくちびるを離すことができた。
ぼくは、アンジェとのキスに、すっかりとろけてしまっていたんだ。
大好きなアンジェのくちびる。ほんのり染まった頬。少しうるんだ瞳。
木漏れ陽が、アンジェのきれいな髪にきらきらと落ちている。
（どうしよう。）
・・アンジェがすっごく色っぽく見える。半開きの、誘うような瞳に、ぼくはかなり参ってしまったんだ。・・・白い首筋が、この間見た映画を思い出させてしまって。
「アンジェリーク。」
ぼくは、アンジェを抱き締めると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「・・大好きだよ。アンジェ・・・。それで・・・。怒らないで聞いて？・・ぼく・・何だか・・変な気持ちになってきちゃったよ。」
「・・変な・・気持ち・・って？」
・・何となく、意味は分かりました。たぶん、私と気持ちは同じ。
キスしながら、大好きな気持ちがどんどんあふれてきて、体の中の血が、すごく勢い良くめぐっているような、そんな感じ。
−−もっと、触れあいたい。
それが、どういう意味の言葉なのか、私はわからないなんて、言わないわ。
うっすらとしか分からなかった事が、次から次へと体の奥で目覚めていってる事に、気が付いてしまっているから。
「・・アンジェ・・。もっと君のことを知りたいよ。」
マルセルさまの、心臓の音が、私の体にも、響いて伝わってきました。
「・・私もです。マルセルさま・・・。ちょっとだけ怖いけど。」
☆ ☆
「・・イヤなことは、イヤだって、・・言ってね？」
アンジェリークも、ぼくも、本当に何も分からないんだ。
自分たちが、知らない間に変わっていく。・・そのことに対して、恐怖感を感じない訳じゃない。・・でも、それを超えるほどの、お互いを求める気持ちがあるんだ。きっと。
ブレーキは、効かなくなっちゃった。ぼく達はこれからどこに転がってしまうんだろう。
−−ぼくは、アンジェの白い首筋に、唇をあてた。アンジェの体がビクッて反応しているのが分かった。・・そっと、耳たぶを唇で挟むと、アンジェの小さな吐息が、ぼくの耳のそばで、かすかに聞こえたんだ。
・・ぼくの理性が、音をたててくずれていく。・・なんて心もとない理性なんだろう。
君とぼくは、簡単にこんなことになっちゃいけないんだ。・・分かっているのに。
（ごめんなさいっ・・・女王さま・・）
ぼくは、アンジェの声が、もっと聞きたくて、だんだん深みにはまっていったんだ。