初恋の君と結ばれた幸せな日々…
私のデュオニュソスは、とても聡くて優しくて。
もともとお父様のお気に入りだった彼は、
外交上の要になる土地の領主を任される迄になっていました。
領民にも、”プラチナの君”と呼ばれるまでに人気も高いし…
私は、この幸せを下さった神に心を込めた祈りを毎日欠かさずに行っていました。
”心の平安を与えて下さいました神よ、心より感謝申し上げます。
願わくば、この幸せがより長く続きますよう、何卒見守りたまえ…”
けれど、この願いも。ある男が夫の前に目通りを求めた事により崩れるとは…
誰が思ったのでありましょうや。
彼を一目見た時の何とも言えない違和感は、神が私に与えたもうた慈悲であったのに…
今まで、口にするのもはばかられると思っていましたが、申し上げましょう。
…これから貴方に話すお話は、ある国の主とその部下の骨肉の争い。
そして、主の妻が侵した罪の告白でもあります…
そう、彼が私たちの目の前に現れた時。
夫はもちろんのこと、その場にいた廷臣一同から見惚れた溜息を吐いたものです。
緩いウェーブを肩胛骨まで流したパッション・ブロンドをシルクの髪留めで
一つにまとめている髪型が、透き通るような白い肌に美しく映えて…
さらに、見る者に強い印象を与える深いアメジストの瞳が印象的でした。
あらかじめ彼の事を聞き、その頭脳明晰さと先見の明を買った夫が、
臣下として彼を迎える最初の日だったのです。
夫の口から、廷臣一同に目の前の男の名が告げられます。
「彼の名は、”タレイラン・フェルディナンド・オウギュスト”これからは
我が参謀の一人として彼を臣下に加える。」
主の命令は絶対です。
もとより、彼の知識の幅広さはわが国随一を誇る物であったがため異論などが出る余地はありません。
…私も、純粋に喜んでいたのです。優秀な人材増えた…これで、この幸せも磐石になる。と…
そして、もう一人。私自身に深く関わる男と出逢ったのです。
タレイランを迎えた日は、夫に深い忠誠を誓ってくれた騎士見習いの貴族の
青年が、騎士の称号を与えられる日でもあったのです。
タレイランを臣下に迎えた宣言を出した直後。
今度は青年に騎士の称号を授ける儀式に移るべく、大祭司が私たちの目の前に立ったのです。
祭司の後ろには、青年と彼の後見人が恭しく控えています。
祭司が儀式の開始を促すと、夫が控えている二人を呼び寄せます。
同時に私も、小姓を呼び寄せて騎士の勲章とマントと衣装の一式を運ばせました。
夫は緋色の絨毯をしいた階段を数段ゆったりと降りると、愛用の剣をすらりと抜き、
抜き身の剣を、頭を垂れている青年の肩に軽く置きました。
「神の御名において、主と主が剣の上に変わらぬ忠誠を誓うか？」
目の前の儀式を確かめるように、大祭司が青年に向かって確認を行うと。
「神の御名と主の剣にかけて、我が主・レヴィアス様に変わらぬ忠誠をお誓い致します」
青年の誓いを聞き届けた夫は剣先で青年の身体を軽く叩くと、すぐに剣を引いて
自らの鞘に納めました。
そして、私の指示で騎士の装束一式を捧げ持っていた小姓が前に進み出て夫の
横に跪くと、夫は捧げ持っていた装束からマントを取り、青年に羽織らせます。
青年を立たせた夫は、タレイランと同様に廷臣に彼を紹介したのです。
「今、我が騎士となったこの男は名を、”サーディン・アッシュ・レカルティア”
我が諸国を転戦していた頃からの忠実なる臣下だ。これからは騎士として彼を遇する」
高らかに宣言した夫・レヴィアスの隣には、プラチナブロンドの長髪に燃えるような
ルビーの瞳を持った青年が。
何よりも私を驚かせたのが、彼の容姿でした。瞳の色をオッド・アイにしたら
レヴィアスとうりふたつなのです。
ですが、サーディンと夫の区別はすぐにつきます。何故ならサーディンの左の頬には
レヴィアスを守りきった証である小さな頬傷が、未だバラ色を残していたからです。
サーディンは、本当に夫に忠実な騎士。
私にとっては、頼もしい夫の臣下だったのです。そう…私が彼の心を知るまでは…
二人を宮廷に迎えて暫くの月日が流れたある日。
私はお気に入りの侍女二人を伴って、城の中庭にある花園を散策した時でした。
様々なバラを愛でていた私は、回廊の方から視線を感じた気がして振り向くと
そこには、サーディンが佇んでいました。
サーディンは何かに驚いたように目を見開き、私のことを見つめていたようです。
まだそれほど目通りは許していないから、后がこのような場所にいるとは思えなかったのでしょう。
私は彼に近づいて、王妃として声をかけました。
「レカルティア伯、ごきげんよう。」
「あ、エリス様にはご機嫌麗しく…」
自身の驚きの顔を見られた事が恥ずかしかったのでしょうか？心持ち頬を染めながら
挨拶を返してくれました。
そんな彼の仕種が微笑ましくて思わず微笑んだ私は、扇で口元を隠しながら
サーディンに質問しました。
「ところでレカルティア伯には、今日は城の見回りなのですか？」
「はっ、騎士たる者。主の安全を守るのが務めですので。」
「ふふっ、お疲れ様でございますわ。貴方の様なお方のおかげで私たちも
安心できるというものです。」
本音も交えながら言葉を掛けると、サーディンは一言も聞き漏らすまいと聞いていました。
本当に生真面目な性格が私の中で好印象に写ったのです。
そのまま彼と別れた私は、侍女達を連れて部屋に戻るまでの間を使って、彼の噂話を
侍女の口から直接聞いたのでした。
彼は、容姿に似合わぬ勤勉さと誠実さで城の侍女達はもちろんのこと。
城下の庶民達にも人気は高いようです。
そして、己の人気を鼻に掛けることもなく自然体に振る舞うのが、また女性の心を擽る。
…と、口を揃えて話してくれたのです。そんな侍女でも年かさの者が、
「レカルティア様には、ご自分の名誉を捧げるのはエリス様のみと聞いたことがございます。
でも、その噂は真のようでございますわね。先程のエリス様を見つめていた
レカルティア様の目元は、恋する男性そのものでしたわ。」
と自分の考えを交えながら話しました。
もともと、恋愛結婚で結ばれた夫への想いは、時間が経つにつれてより深まっている私です。
人妻である私にも、そのように思ってくれる騎士が居てくて嬉しいという気持ちで、
その場は侍女の言葉を聞いた私でした。
いつか彼も妻を娶り、騎士の立場から身を引くのだろうと思いながら…
ですが、彼の想いは私が考えていたよりも深かったのです。
それを知るのは、とある事件の判決を決める決闘試合の準備の時でした。
「レカルティア伯が、私のハンカチーフを？」
「はい。この決闘で勝利した暁には、全ての誉れをエリス様に捧げたいということで
ございました。」
躾の行き届いたレカルティア伯の従者は、膝を付いたまま彼の願いを申し述べました。
サーディンに関しては好印象を持っていましたし、何より彼の純粋な気持ちを
好ましく思っていた私は、彼を思わせる赤と銀糸の縫い取りが美しいハンカチーフを
従者に託したのです。
この時点で、私は彼の中に燃えている感情を朧気ながらに感じとっていました。
何故なら、決闘の場で身に着ける女性のハンカチーフは騎士の意中の女からの物
であり、勝利した後の誉れは騎士の意中の女性に捧げるべきものであったのです。
それが私共の世界では常識でした。
騎士の恋は精神的な物・プラトニックラヴであり、肉体的なつながりは全く無いと
いう考えが一般的、かつ常識だったのです。
…私は、神と夫に誓って申し上げます。サーディンと私は肉体的なつながりは全くないのです。
時折言葉を交わすことはありましたけど、夫以外に身体を開くことは私の中にはあり得ません。
もし、夫以外の男性を受け入れてしまったとしたら…私は自害するのも厭いません。
私の全てを掛けて…夫を、レヴィアスを愛していますと…
ですから、彼に私のハンカチーフを渡したのは、騎士として誉れを捧げると言ってくれた
彼の気持ちに対して感謝したいという気持ちの現れだったのです。
数日後、私のハンカチーフを身に付けたサーディンは見事勝利を手にしました。
決闘試合に勝ち、興奮に煌めいていた彼の瞳は夫と私に向けられています。
当日、夫と共に盛装していた私はバルコニーから彼に向かって祝福を送りました。
それに応えるかのように、サーディンは馬上で騎士としての礼を返してくれたのです。
それだけのこと…かのように思えました。しかし、これが罪の始まりだったのです。
この精神的なつながりが夫を追いつめることになるとは思いも寄りませんでした。
サーディンと私の関係を、タレイランが利用するとは…
あの男は、初めからレヴィアス様が治めるこの土地と連合国王への有り難い覚えを
己が手に入れようと画策する為に近づいてきたのです。
…申し訳ありません…これから先のお話をする前に…
少しだけ、お時間を頂けますか？
神に今一度祈りを捧げて、心を落ちつかせたいのです。大丈夫、すぐに戻ります。
…お待たせして申し訳ございませんでした。では、続きをお話しましょう。
裁判の判決を決する決闘試合の席で、サーディンの意中の女が私であると公になった事で
一つの噂が領内を駆けめぐりました。
”新しく騎士になったレカルティア伯は主の妻・エリスに忠誠以上の物を捧げた”と。
もちろん、根も葉もない噂です。私は一笑に付して否定しました。
レヴィアス様にも、私がサーディンに渡したハンカチーフの事を話してありましたし、
サーディンと話す時は必ず数人侍女か臣下の貴族の奥方達が付いています。
絶対に二人きりで会ったことは無いのですが、この噂は消えるどころか、
さらに嘘が重なった物になっていったのです。
人々は幻惑に惑わされているだけなのだから…と、いつもどおり振る舞っていた私と
夫でしたが、そうすればするほど疑惑の根は深まるかのようでした。
そんなある日、私はレヴィアス様から一つのことを打ち明けられました。
一日の公務を終えた私たちは、いつも通り主寝室でくつろいでいた時の事です。
「エリス…」
レヴィアス様は、端正な相貌を苦しそうに少しだけ歪ませて私に話し掛けて来ました。
ちょうど、夜着に着替え終わった私は、鏡台の前に座る前にレヴィアス様の
隣に腰掛けたのです。
「何でしょう？レヴィアス様？」
私が腰掛けながらレヴィアス様の呼びかけに応えると、レヴィアス様は有無を言わさず
私を抱きすくめたのです…どこにも行くなと言うかのように…
力一杯の抱擁に息が詰まりそうになりましたが、レヴィアス様の温かさを何時になく
感じることが出来るので…私はとても…幸せを感じていました。
もう少し、レヴィアス様の温もりを感じていたかったのですが、ふと、腕の力が弱まり、
レヴィアス様が、私の身体を少し離したのです。
夫の瞳には、真剣な光が宿っていました。異様なまでの澄んだ光に、私もただ事では
ないと思いましたので、寸前までの甘い感情を一時切り放しました。
「エリス…今、領内に流れている噂を知っているか？」
「はい、私とレカルティア伯のことでございますね。
…貴方に知られてもなお、男女の仲を続けているという…」
「ああ、全く根も葉もない噂だが…どうも、静観するだけではすまない事に
なっているようなのだ。
領民はもちろんの事、近隣諸国にもまことしやかに噂が広がっているらしい。
さらに悪いことに…」
「悪いことに…？」
「この噂を使って、諸国が臣下達に寝返りの使者を個別に送って来ているらしい。
家臣達の結束が緩くなってきたのだ。特に軍部の亀裂は深い物になっている。」
「まぁ…」
「この状況、悪くすれば陛下から頼まれたこの領地に幾ばくかを諸国に削り
とられかねないのだ。それに、この噂を聞きつけた陛下からも手紙で
ご下問を頂いている。」
「…」
「噂については、もちろん否定する。…事実以外を報告しても無意味だ。
だが、ここまでこじれてしまったら唯ではすまないだろう…
なにより、エリス…領民がお前とサーディンに対してかなりの不満を持っている
という事実があるのだ…悲しいことにな…
この国を守るためにとはいえ、お前を手にかけることもあるやもしれぬ…
そのことを、知っておいて欲しかったのだ、エリス…」
「レヴィアス様…伝えて下さってありがとうございます。
私は誓って、貴方様だけの妻でございます。
人民を治めるためには犠牲も必要でございましょう…
その時になりましたら、私情に流されず公平な判断をお下しなさいませ。
国のため、貴方の為ならば…私は喜んで処刑されましょう。
他ならぬレヴィアス様が私を心密かに信じていて下されば、私は満足でございます。」
心からの言葉を伝え終わった私は全てを吐き出したせいか、一瞬肩の力が抜けたようです。
気が付くと、背中に柔らかいシーツの感触があり、身体の前には夫の逞しい身体が
私を押さえつけていました。
背の君とはいえ、レヴィアス様の端正な顔が目の前にあります。
知らず私の鼓動が速まっていくのを止めることが出来ませんでした。
全身が赤くなるのを感じながらも、本能的にレヴィアス様の腕の中で身を捩った私を
レヴィアス様は、使える物全てで私を宥めてくれます…
その夜、何時になく熱くレヴィアス様に抱かれた私は、夫の情熱に理性を焼ききられ
ながら、”レヴィアス”というただ一人の男を受け入れていました。
こうして、改めて思いを通わせ合えた私たちでしたが、レヴィアス様が仰っていた
”陛下からの下問への返事”はサーディンに持たせたのです。
何故か、連合国王陛下直々のご内意だとか…怪訝に思いながらもサーディンを向かわせました。
サーディンが領地を空けてしばらく後の朝議の席。
連合国王の元から緊急で届けられた一通の手紙が、朝議を震撼させました。
そこには、
「人民を不安に陥れる女など、領主の妻には相応しくない。
レヴィアス卿の后を処刑することを命ずる」
と書かれてあったのです。
この手紙が届けられた直後、サーディンと同行した騎士が満身創痍で息も絶え絶えに
なって戻って参りました。
騎士の容態が安定した後に手紙の事を聞いた夫と私は、騎士の口から驚愕の事実を
伝えられたのです。
「先日の陛下のご下問へのお返事にサーディンを寄越せと仰った真意は…
エリス様とサーディンの噂に、無理矢理に裏付けをとったうえで、
エリス様とレヴィアス様を糾弾し…しかるべき処置の名の下に抹殺した後、
この領地を陛下の直轄にしようという陰謀でございました…
陛下は伺候した私達を…有無を言わさず捕らえて投獄されたのです。
私はすぐに獄を抜け出すことが出来ましたが…
サーディンは…厳しい責め苦に遭っても、真実を訴えてございました故
この手紙の内容は、捏造されたものでございます。
私が獄を抜け出した後、サーディンも脱出する手はずを二人で示し合わせました
ので、今は帰路を急いでいるものと思われます…」
そこまで話終えた騎士は、緊張の糸がぷつりと切れたようにその場に崩れ落ちました。
容態がだいぶ安定したとはいえ、まだベッドから起きあがれる状態ではなかったのを
本人の強い希望で話をしたものですから…かなりの緊張があったことでしょう。
レヴィアス様は、腕の中にいる忠臣の身体を労るように横たえさせると、
私の手を引きながら立ち上がりました。
側にいた侍女に、騎士への手厚い看護を命じて私達はその場を離れたのです。
私の前を歩くレヴィアス様の雰囲気が堅いものになっています。
…今まで信じてきた人物から狙われる現実。潰さなければ潰される弱肉強食の世界…
この時、私は悟りました。
目の前のレヴィアス様を支えるのは、無上の信頼だということを。
そして、レヴィアス様が私を信じてくれるように私も夫を信じることだけが孤高の夫を支えるのだと。
そう、夫婦は戦友でもあるのです。…私自身も夫の懐刀の一つになろう。
妻であり、部下であり知恵袋でもある唯一の女になろうと決意しました。
レヴィアスという男を支えるために…
…これが、私の戦の始まりでした。
〜Ｃｏｎｔｉｎｕｅ〜
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