戦いの喧噪の中、私は、父と敵対している軍隊が一望出来る
目立たないバルコニーに足を運んでいた。
バルコニーから見おろすと、布陣の形が良く分かる。
鋭気が充分だが、本格的に総攻撃を仕掛けてくる様子は無いようだ。
そんなことを思っていると、ふと馴染みのある気を感じた。
とても美しく、懐かしい気配･･･星明かりに浮かび上がった美神のような･･･
ふと、感じた不安と疑問を解くために、私は、控えている侍女に聞いた。

「･･･お父様と戦っている相手は、何という名前なの？」

「はい、なんでも、ブリテン王国の皇太子で、名前は･･･」

「名前は？」

「そう、確か･･･”レヴィアス”という方らしいですわ。」

「”レヴィアス”･･･」

その名前を聞いたエリスは、侍女の声を遠くに聞きながら
意識が遠いところにいくのを感じていた･･･
･･･嘘、嘘よ･･･そんな･･･あの情熱的なデュオニュソスが、敵だなんて･･･

「エリス様っっ！しっかり遊ばしませっっ！」

侍女は、崩れゆく私の身体を支えながら、人を呼ぶ。
私は、遠くなる意識の中で聞き慣れた声とざわめきを感じながら
意識を失っていった。


そう･･･私は、あの夜。何故か心がざわついていてどうしても寝付けなかった･･･
月も光らない星明かりだけの長い夜長を寝返りを打ちつつ過ごしていた。
眠ろうとすればするほど神経が高ぶってしまって･･･
無理に寝ることを諦めた私は、夜着の上にナイトガウンを羽織ると
続きのバルコニーに歩を進めた。
【キィィ】
小さくきしませながら扉を開くと、躊躇わずに星明かりの静寂な闇の中に
自らを浸した。
･･･高ぶった感覚に、夜の空気が気持ちいい･･･
私は、肌に感じる心地よい冷たさにうっとりと目を細めながら
その場に立っていた。すると、

「ほぅ･･･珍しい物だな･･･月に仕えるニンフが月光浴ならぬ星光浴とは･･･」

「っだ･･･っっ！」

不意に聞こえた低く通る声に反応した私は、思わず声を上げかけたが、
音を発することは出来なかった。
いつの間にか近づいていた、男の大きな掌に口を塞がれてしまっていたから。
一瞬頭が白くなってしまったけれど、見知らぬ男から早く遠ざかりたかった
私は、自由になる両腕を突っ張って、抵抗をした。
その様子を見た男は、口を覆っている手をそのままに、空いている腕で
私の身体を拘束した。

「ほぅ･･･なかなか気丈なニンフだな。顔に似合わず強情なところが良い･･･」

と、口端を少し上げた微笑みを浮かべているが、拘束している腕の力は
弱まることが無い･･･
腕の力がより力が強まると同じくらいに、嫌悪感も増してきて。
一層烈しく抵抗していた私だった。だが･･･

「抵抗するな、ニンフ。･･･ただ、お前があまりに美しくて･･･
　本当に存在するのか確かめたかっただけなのだ。
　これ以上の無体をする気はない･･･頼む･･･」

腕の拘束に力が入りながらも、聞こえてくる声は、不安を抱えた儚げな物･･･
不思議に、安心できる声を聞いた私の身体からは徐々に力が抜けていった。
力が抜けていくと同時に、自分の中の警戒心や嫌悪感も淡雪のように
解けていく･･･
暫くそのままでいると、男の方から私を拘束から開放してくれた。

「ニンフ･･･乱暴にして、すまなかった･･･」

先程とは打って変わった、静かな声。
男は、居心地悪そうに佇んでいた。
腕から開放された私は、先程より冷静になりながら、男に疑問を投げかける。

「･･･驚いただけです･･･それより、貴方は･･･どなた？」

「私は、”レヴィアス”･･･この国に用があって、旅をしてきた者だ･･･
　たまたま、国王と相見えることができてな･･･とりあえず離宮で世話になっている･･･」

思いもかけない、彼の言葉。
レヴィアスは、特に身分のことは触れていないが、
国王である父の許可を得て離宮を使わせて貰えるとは並々ならぬ身分なのだろう･･･
王女であるエリスには、そこまでの憶測はたやすい物だった。

「まぁ、お父様と･･･」

レヴィアスは、”お父様”の単語に反応した様に顔を向けると、

「父･･･というと、ニンフは･･･王女か？」

「はい･･･」

「そうか･･･」

目の前の儚げな女性が、人間であった事に安堵したのであろうか。
レヴィアスは、整った相貌を少し笑み崩しながら呟いた。

「･･･我が妻に相応しい･･･」

思いがけない単語に反応した私は、信じ切れなくて言葉を返す。

「え･･･」

「戯れ言だ･･･忘れろ。」

そう言うと、”レヴィアス”は刹那。私の唇を軽く摘むと
身を翻してバルコニーから姿を消した。

星明かりの下の元、私は、触れられた唇に温もりが残っている様な気がして
そっと、唇に手をかざす。
･･･書物で読んだことはあったけれど、口付けが、こんなにも温かさを感じる
ものとは思っていなかった。
そして、軽く触れられただけでも、”レヴィアス”の中の熱さを感じる様な
気持ちになるのが不思議だった･･

以来、”レヴィアス”は、私の中では”男”になっていた。
”父”や”臣下”とは違う”男”･･･私だけの、夜の美神・デュオニュソス。
この時から、私の中の”女”は彼を求めていたのかもしれない･･･
それ故、”父”と敵対する人間が”レヴィアス”だったという事実は、
どうしても受け入れることが出来ずにいた･･･
そう、目の前に広がる威風堂々とした陣の中にひときわ輝く光を持つ
青年を見るまでは･･･



（･･･ニンフ･･･目を開けてくれ･･･）

夢の中で、誰かが呼んでいる･･･だれ？･･･デュオニュソス？･･･

「･･･様、エリス様っ！」

侍女の必死な声が聞こえる･･･
重く感じる瞼をやっと開くと、目の前には、安心と心配が入り交じった表情の
乳母がいた。

「ばあや･･･」

「っはぁ･･･お気が疲れて、本当にようございました。」

安堵の溜息と共に、目元に涙を溜めながら気遣ってくれる。

「ありがとう、ばあや･･･もう、大丈夫よ･･･」

「エリス様･･･」

安心したお陰なのか。ばあやは、今まで溜まっていたらしい疲れが
どっと出てしまったようだ。
私の枕端にそのままへたりこみかけたが、持ち前の精神力で
持ちこたえる。
ばあやの様子を目の前に見た私は、悪いと思いつつも、ばあやにだけは、
自分の本当の気持ちを伝えたくて口を開いた。

「ついててくれて、ありがとう。ばあや･･･
　あの、聞いて欲しいことがあるのだけれど･･･いい？」

「エリス様･･･なさりたいことがおありなのですね。
　･･･宜しいですよ。私で良ければ、何でも仰って下さいませ･･･」

「ばあや･･･」

こうして、私は、ばあやにだけ星夜のことを話した。
同時に、もし輿入れするなら”レヴィアス”以外は考えられない事も･･･
ばあやは、真剣に受けとめてくれた。

秘密の星夜のことは、外部には漏らされずに月日が流れていく。
流れゆく月日の中で、風の噂に聞いた一つの事。

”レヴィアス”王子が、”エリス”王女を妻問いするために
国王から課せられた試練と戦争を乗り切っている。･･･と。

その噂が真実だったのを私は、程なくして知った。
私が倒れてから、数年後の今。
父国王に伴われた私だけの夜の美神が、昼の明るい光の中。
私の目の前にすんなりと立っている。

「エリスよ。このお方がそなたの伴侶殿だ。」

父のこの一言が、噂の真実を物語っていた。
私は、頬が赤らむのを感じながら”レヴィアス”に視線を飛ばすと、
彼は、あの夜と同じ･･･
いえ･･･それ以上に美しく慈愛に満ちたオッドアイの瞳を
私に向けてくれていた。

「わが妻は　エリス」

「私の夫君は　レヴィアス」

瞳が、会話を･･･私達の心の声を伝えてくれていた。
初恋が実った瞬間。
私は、とても幸せだった･･･
そう、私に深く関わってくるもう一人の”男”と出逢うまでは。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　続く