あたしは二つ返事でＯＫした。

友達なら全然かまわないわ。
かえってこっちから、お願いしたいぐらいだったもの。

向うからわざわざスケッチしていいっていうのだから、遠慮なく描かせてもらうわっ！
細かく彼を描写して、日本の読者のハートをわしづかみよっ。
そしてあたしは売れっ子の道まっしぐら。

ハッハッハッ、笑いが止まらない〜

彼はブラウンの瞳を色濃く輝かせ、微笑みながら立ち上がり手を出した。

「良かった、僕はエリック・ビノシェだ」

「あたしは池田真理奈よ。マリナって呼んでちょうだい」
そういって、差し出されたエリックの左手をギュッと握りかえした。

そうしてあたしはエリックと頻繁に会うようになり、彼の事が徐々にわかっていった。
特に驚いたのは年齢。

てっきり高校生かと思ってたら、大学生で21歳だと言うんだもの。
くったくのない笑顔と、きゃしゃなスタイルが彼を若く見せるのかもしれないな。

エリックは昼は大学で学び、夜はバイトだから、あたしたちが会えるのは夕方だけだった。
その２、３時間であたしはひたすら絵を描き、彼は話し続けた。

エリックは話題が豊富なうえ面白くて、ついつい話を聞くのに夢中になってしまい、
描くのを忘れる事もしばしばあった。

頭も良くて、あたしがわからない顔をすると、優しくわかりやすい言葉を選んで説明してくれたの。

それでもまだ理解できないでいると、何度も繰り返し教えてくれた。
どうしてそんなに教え方が上手いのか聞いてみると、それもそのはずエリックのバイトの中に家庭教師も
あったからだった。だから、生徒に教えるみたいに丁寧なのね。

他にどんなバイトをやってるのか聞くと、家庭教師のほかにも、塾の答案の添削や、ウェイター、
洋服店のスタッフなど、いろんなバイトをかけもちでやっているということがわかった。

うっ、働き者なのねぇ。
寝る時間なんてあるのかしら？

そんなに寝る間もおしんで働くにはわけがあるはず、何の目的でお金をためているのと聞くと、
エリックはサラリとしたブラウンの前髪を軽くかきあげた。

「生活費でほとんど消えるよ」

「一人暮らしなの？」

彼はうなずいて、瞳を流した。

「そう、一人暮らし。と、いっても、好きで一人暮らしをしてるわけじゃないんだけどさ。
両親は僕が生まれてすぐに事故であっけなく逝ったんだ。それからは祖母に育てられていたんだけど、
日本に留学していた時に、病気で突然亡くなったって連絡が入って、すぐに帰国したんだ。
たよれる親戚とかいなかったから、ああ、本当に僕は一人になってしまったんだなって、感じたよ。
精神的にかなりまいってたんだけど、これからのことを考えると滅入る暇もなかった。
家は持ち家だったから住むところには困らないんだけど、生活をしていかなくてはならないからね、
すぐに働きに出たんだ。
だけど、どうしてもまだ勉強がしたくて、それで働きながら、かなり勉強して奨学金制度がある大学を
選んで入ったんだ」

それでそんなに働いていたんだ。

「すごいね、偉いわあんた。」

そう言うと、彼はなんでもないかのように微笑んだ。

「皆この話をするとそう言うけど、僕は偉くもないし、すごくもないよ。ただ、やりたいことをやってる、
それだけだ。
少しは人より苦労しているかもしれないけど、それでもいい経験をしたと思ってる。
思うんだけどさ、どんなことでも意味あるものだと僕は思うんだ。たとえ苦しい事でも悲しい事でもね。
それを経験していく事によって人の痛みを理解できる人間になっていくんだと僕はそう思っている」

明るく言うエリックを見て、今まで少年っぽく感じた彼が初めて大人に見えた。
辛い経験をして、そこから何か大切なものを得た彼は、輝いてみえて素敵だった。

ああ、あたしもそんな風に、辛い事があっても笑って話せる人間になりたいな。

いろんな角度から顔をスケッチして、もう描写は完璧になったから、そろそろプロット作りに入ろうかな。

ラブストーリーに必要なものは、運命的な出会いよねぇ。
日本人とフランス人だからなぁ、舞台は日本か、フランスのどちらかよね。
どっちかが留学して、出会わせようかしら。

ん、留学？

そうだっ、エリックと恵さんとの出会いをヒントに書けばいいかもっ。
きっと素敵な出会いかもしれないっ。
いーわ、いーわ、エリックに聞いてみよう！

早めに出かける支度をして、待ちあわせ場所の公園に向かった。

今日は祭日だから、お昼に外で会う事にしたのよ。

いつもより時間に余裕をもって行くと、すでにエリックは来ていた。
ブラウンの髪は太陽の光を浴びて、色がぬけているように見え、白い肌は光りを反射していて、
遠目から見てもため息がでるほど美しかった。

「エリック」

遠くから声をかけると、横を向いていた彼は、振り向いて微笑んだ。

「来るの早いね」

あたしは小走りに歩きながら言うと、彼は足元に置いてあったバッグを持ち上げ歩み寄ってきた。

「今、来たところだよ。さ、今日はどこで描く？」

そうねぇ、天気もいいことだし、外でかきたいわね。
あたりをぐるりと見渡し、古そうな大木に目が止まって、指差した。

「ねぇ、あの木陰に行かない？」

あたしは木に寄り掛かり、スケッチブックを開き、エリックはバッグを放り出し、仰向けになった。

「ああ、気持ちいいー」
そういって、目を閉じた。

きれい・・・・・・

知らぬ間に側まで近寄っていき、覗き込んで彼の顔を見ると、長いまつげ、通った鼻筋、
長いまつげに魅了された。

しばらく見惚れていると、エリックは急に目を開けたので、あたしは慌てて飛びのけて視線をそらした。

危ない、危ない。

何しに会いに来たんだか、わからなくなるところだったわっ。

ドキドキする胸を押さえながら言った。

「ねぇ、あんたと恵さんの出会いを、良かったら教えてよ」

言うと、彼は体をうつぶせにし、斜めにあたしを見た。

「恵との出会い？」

「うん」

一度目をふせ、ゆっくりと語った。

「恵とは、同じクラスだったんだ、初めての出会いは最悪だったんだよ。僕がたどたどしい日本語だった
ために、あまり話さないでいると、クラスで浮きはじめてきたんだ。
すると恵は突然僕が座っている席に来て、いきなりこう言ったんだよ。

『へたくそでも話さないと、友達は出来ないわよ』って、その時はむっとしたよ。
へたくそで悪かったなって。それで思わず文句言ったんだ。文法はめちゃくちゃだったけどね。
でも彼女は嬉しそうに黙って聞いてたんだ。そして最後に

『へたくそでも言ってる意味はわかるわ、その調子で話していけばいいのよ』とね。

その時、思ったんだ。ああ、彼女は僕がクラスから孤立してるのを見かねて、言ってくれたんだって事に。
それがきっかけで友達になり・・・・・・好きになったんだ」

なるほどねぇ。

あたしはメモしながら言った。

「出会いは悪くてもそれが恋に変わる事ってあるわよね。あたしの今の彼氏との出会いも、
決していいとは言えなかったわ」

そう言うと、エリックは勢い良く身を起こし、驚いたように目を見張った。

「彼氏いるの？！」

その言い方があまりにも驚きと真剣さに溢れていて、あたしはこくりと息をのんだ。

「うん、いるけど」

そう言うと、彼の瞳にやるせない光が突っ切り、一瞬だけ寂しそうな表情を見せた。

「どんな人？」

あたしの瞳に切り込むように言った。

「人嫌いで孤独な一面もあるけど、あたしを自分より大事にしてくれる人よ」

シャルルを思い出しながら言うと、エリックは表情を固まらせて、黙りこくってしまった。
どうしたのよと、何度聞いても教えてくれず、いつのまにか日がすっかり暮れていった。

いつもより遅く別れたから、急いで家に帰った。

家に戻り自分の部屋に差し掛かったその時、あたしの部屋の扉に身をもたせ、腕を組んで
立っているシャルルが目に入った。

あっ、シャルル！！

久しぶりに会えるのが嬉しくて駆け寄ると、シャルルはこっちを一瞥して、体をおこした。
そして冷ややかにあたしを見ながら、気分を害する事を言った。

「最近、帰りが遅いらしいね、執事が心配してたぜ。一体どこで何してるんだ？」

いきなりむっとしたように言うシャルルに腹が立った。
久しぶりにあうんだから、他の言葉がほしかったのに。

「あたしだって仕事があるから忙しいのよ、心配しないでちょうだい」

つっけんどんに言うと、シャルルは視線を投げつけた。

「いつもこんなに遅い時間に帰ってきて、しかも一人でパリをうろうろしてるんだろ？　
心配するなという方がおかしいと思うけどね」

「一人じゃないもの」

別にエリックの事は隠す必要がないから、正直に言おうと思った。

「あたしはね、次のマンガの主役になりそうな男の子を見つけてデッサンしてるだけなのよ。だから、
一人じゃないから大丈夫なの！」

そうがなるとシャルルは片方の眉をあげた。

「男の子？」

「そうよっ、エリックと言って、すごくやさしいんだから」

ドアノブをつかんで部屋に入ろうとするのを、シャルルはすばやくあたしの二の腕をつかんだ。
振り向くと、一筋髪を唇にまとわせながら、ブルーグレーの瞳でじっとあたしの顔を覗き込み、
問いただした。

「ちょっと、まてよ。エリックって誰だ？　どこで会った？」

シャルルのつかんだ腕をあたしは軽く振り払った。

「どこで会おうか関係ないわよ。もう疲れたから寝る、おやすみっ」

言ってドアをいきおいよく閉めた。
ドアごしにシャルルがあたしの名前を呼ぶ声がしたが、鍵をかけて耳をふさいだ。

けんかなんか、したくなかったのに・・・・・・

確かにシャルルが心配する気持ちもわからなくはない、でも今日のエリックの不可解な
ふさぎこんだ行動と、シャルルの一方的な言い方があたしを追い込んだ。

大きくため息をついてベッドに寝転んで、顔を覆った。
とにかく今日は気分が悪いから寝てやる！

次の日、冷静になるとあたしの言い方も悪かったなと思い、シャルルに謝りに行こうとしたら、
もうすでに部屋には居なかった。

はぁ、また仕事か・・・・・・
いつもすれ違いだ。

こんなんであたしたちは大丈夫なのかなぁ。

暗い面持ちで食堂に向かい、とりあえず胃袋につめ、出かける支度をした。

エリックの昨日の態度が気になっていた。
きっと何か、理由があったにちがいない、ちゃんと聞いてみよう。

そう思いながら、エリックとのいつもの待ち合わせ場所に行くと、彼は昨日とはうってかわって
明るくあたしに手を振った。

「マリナ！」

その元気な表情を見てほっとした。
良かった、いつものエリックだ。

あたしに向かって走ってきてエリッは頭を軽く下げた。

「マリナ、昨日は急に黙り込んでごめん。そのお詫びに君を連れて行きたいところがあるんだ。
今日は僕に付き合ってもらってもかまわないかい？」

そう言って大きなブラウンの瞳でじっとあたしを見つめた。
あんたが元気ならいいのよ。
あたしはエリックの背中を叩いて、

「もちろんいいわよ」

一度、ほっとした顔をして、ポケットに手を入れキーをかかげた。

「車もってきたんだ。ドライブしようよ」

へぇ。
エリックって車の免許があるのね。

ドライブなんて久しぶり。
気分転換になっていいかもね。

感心しているあたしの手をひっぱっていき、脇につけてある赤い車の助手席のドアを開けてくれた。

「どうぞ」

わざとかしこまりながら言うのを聞きながら、あたしは席に座った。
バンというドアが閉まる音がして、エリックは運転席に座り車が走り出した。

開けた窓からは気持ちのいい風が入り込み、あたしの髪がなびいた。

うーん、気持ちいいなぁ。
どこに連れてってくれるんだろ？

期待に胸ふくらませながら、外の景色を眺めていた。
そしていつのまにか、あまりにも気持ちが良くて、あたしは寝てしまった。

肩をゆすりおこされ、あたしが目を覚めると、エリックの顔が間近にあった。

「着いたよ、マリナ」