危険な女神
日の曜日の昼下がり、太陽の光が燦燦と降り注ぐ学芸館の一室にて、セイランは目の前にいる
恋人のアンジェリークに囁いた。
「モデルになってくれないか？」
少し困惑したような影を浮かべ、アンジェリークは恥じらいを見せる。
「でも…セイラン様、人物は描かないっておっしゃってませんでした？」
鈴の音と紛うばかりの可愛らしい声に聞きほれながら、セイランは目を細めた。火照った頬を沈める
かのごとく手を添えるしぐさに、内気な彼女らしいと見惚れるばかりだ。
確かに、セイランは人物画を描かなかった。
しかし、その信念を曲げてでも描きたい対象がいる。こうなると、何が何でも描きたくなるのがセイランで
有無を言わせずに、アンジェリークに詰め寄り、言った。
「ああ、これからも人物画を描くつもりはないよ。君以外のね。どうしてそう恥ずかしがるのかな？
君は誰よりも綺麗だよ。不思議だね。それとも僕の言うこと信じられないの？」
「だ、だって、その絵が他の人に見られると思ったら、恥ずかしくて…」
アンジェリークの些細な抵抗もあっけなく却下された。
「見くびられたもんだね。大切な君を描いた絵を誰かに見せるだなんて思ってたんだ。残念だよ。僕は
ただただ、君を描きたいだけなのに。誰にも見せるつもりなんてないよ。それに何？もしかして君は僕の
腕を信用していないの？」
不機嫌な顔を隠しもしないセイランに、今度はアンジェリークのほうが焦った。
「いえ、そんなつもりじゃないんです。ただ、モデルって、服を脱がないと駄目なんでしょう？」
震える声で言いながら、アンジェリークは目を伏せた。
セイランとしてはヌードデッサンなどという考えは毛頭なかったのだけど、アンジェリークが嫌がる理由が
分かり、説得の為に口を開いた。
「あのね、君の頭はモデル＝ヌードって公式が成り立っているみたいだけど、何もヌードばかりが
モデルという訳でもないよ。服を着ていることだってある。君が脱ぎたいのなら止めないけど、
僕は脱げとは一言も言っていない」
そう言い終えたセイランは、もう一度問う。
「モデル、なってくれるよね」
ここまで熱心に恋人に言われると、アンジェリークとしても断れない。
「私でよければ…」
「嬉しいよ、ありがとうアンジェリーク」
「モデルなんて初めてで…」
と、いうアンジェリークの為に、疲れさせないようセイランは気を遣った。
「なら、ここで横たわるといい」
指定した場所は、セイランの私室のベッドの上だった。
「あ、あの〜」
いきなり私室に連れ込まれたアンジェリークは、そのベッドの生々しさに当てられ、言葉を失い、口を
パクパクとさせていた。
と、いうのも、先日そのベッドの上で二人は結ばれたばかりで、つい、その時の様子を思い出して
しまうアンジェリークだった。
その様子を横目で見ていたセイランは、冷たい視線をアンジェリークに送る。
「あのね、ポーズを取るというのは、想像以上に辛い作業なんだ。椅子に座り続けるのも大変だし、
かと言って、床に寝転がってもらうなんて僕には出来ないね。だとしたら、ここしかないだろう？
ソファーなんて上等なものなんてここにはないんだし。大切な君が疲れないようにという僕なりの
配慮なんだけど、もしかして疑っている？」
その眼差しを露骨に浴びたアンジェリークは、ただただ恥じた。
セイランは純粋に芸術に取り組んでいるのだと。
こんな熱意で請われたら、出来る限り応えたいと思うアンジェリークは
「いえ、そんなつもりじゃ…ただ、少し驚いただけです。どうすればいいんですか？」
と、従順に従った。
「靴を脱いで、できたら靴下も。それぐらいはいいだろう？あと、この枕の上に右腕を乗せて、横になって
くれればいい」
言われたとおり、靴と靴下を脱ぎ、ベッドの上に横たわった。
するとセイランの手が伸びてきて、
「こうしたほうがいいね」
と、脚を少しずらさせ、左手を腹の辺りに配置して、リボンを解いた。
「あっ…」
いきなり解かれたリボンを見てアンジェリークは抗議したが、
「リボンは要らない。少し黙っていてくれないか？」
と、逆にそっけなくされる始末であった。しかし、セイランの瞳はとても真剣で、アンジェリークとしても
文句は言えそうにない雰囲気だった。
セイランはベッドから遠ざかり、アンジェリークの全身がくまなく見える距離のところに椅子を置き、
そして部屋を出ていったと思いきや、すぐに戻ってきた。
腕にスケッチブックを抱え、細長い指には鉛筆を挟んで。
「じゃあ、描くよ。じっとしていて…」
椅子に座ったセイランは、目の前のアンジェリークを眺めた。
ふっくらとした形のよい唇は思わずキスしたくなるほどだ。でもセイランはぐっと堪え、さらに芸術家としての
目でアンジェリークを見続ける。きらきらと輝いてる碧蒼色の瞳は吸いこまれそうになるほど魅惑的で
セイランは改めてアンジェリークの美しさに心を打たれる。
おろした髪が頬にかかり、いつになく大人っぽい雰囲気を漂わせていた。
ほっそりとした首はあくまで可憐で、触れれば折れてしまうのでは？と感じるぐらい儚げだった。
窓辺から射しこむ光がアンジェリークを照らしている。
アンジェリークの肌はあくまで白く、太陽の光でさえ勝てないぐらい輝いていた。視線を落とせば、剥き出しになった足首の細さに目線が奪われてしまう。貝殻のような足の爪が並んでいる様は、完成された美そのものとしか思えない。
それらを忠実に写し取ろうと、セイランは筆を走らす。
スケッチブックを何枚も何枚も描き連ねるほど夢中になり、アンジェリークのことを気遣う余裕もないぐらい
セイランは必死になった。
天使と見紛う美少女は、恐ろしいほどにその姿を変えるのだから。
瞬きをする瞼、息を吐くその胸の動き。およそ人間が生きていく上で最低限の動きは大切だと分かって
いたが、刻々と変化するアンジェリークの動きに、腕がついていかない。
すべてを描きたいのに…
思うように描けないもどかしさに次第に苛立ってくる。
そうこうするうちに、スケッチブックは、表も裏もすべて描き尽くされてしまった。
「畜生…」
よほど苛立っていたのだろう。普段のセイランならば、絶対に口に出さない言葉が洩れてしまった。
「あの…セイラン様…私、やっぱりモデル不合格だったんでしょうか？」
セイランの言葉に不安になったアンジェリークが問いかける。
「いや、そうじゃないよ。もうスケッチブックに描くところがなくなってしまったんだ。せっかく君がモデルして
くれてるのにさ。まだ描き足りないんだ。ちょっと待ってて、新しいのを持ってくるから…。あっ何なら、
ポーズ崩しててもいいよ。君も疲れただろう？」
「はい…でもまだ大丈夫です」
アンジェリークはにこやかに微笑んだ。
その笑みでさえ描き写したい欲求に負けそうになるのを堪え、セイランは新しいスケッチブックを取りに行く
時間さえ惜しいと思いながら、慌てて部屋を後にした。
「ごめん、待たせたかな？」
私室のドアを勢い良く開けたセイランは、ベッドに腰掛けて背伸びしていたアンジェリークを見た。
セイランのベッドは窓際に配置されており、一日の内で一番光の強い時間帯であったが、その眩しいと
言っても過言ではない光の中でさえ、アンジェリークの存在感は勝っていた。
光に曝された腕、足、首筋に目線が漂ってしまう。
呆然と見惚れていたセイランだったが、やがてその光の中で、不協和音というべき違和感を感じた。
「どうかしました？…セイラン様？」
アンジェリークの問いかけにも答えないセイラン。
「……おかしい…何だ、この違和感は」
そう呟いたきり、セイランは恐ろしいほど厳しい目でアンジェリークを見続けた。
惑星を巡る衛星のように３６０度アンジェリークの廻りを巡り、頭のてっぺんから足のつま先まで、
念入りに。
そうこうしているうちに、太陽も傾き始め、段々とアンジェリークの肌の輝きが変わってきた。
真っ白く輝く肌が、段々と黄昏に染まっているのを見逃さず、そしてアンジェリークが着ている制服の色と
丁度同じような感じになったのだ。
「…分かった。色だ。だから不自然だったんだ」
よく見ると、スモルニィの制服は色が派手だった。特にリボンとスカートの赤色が。
こうなるとセイランは、止まらなくなる。
「セイラン様？ 」
「前言撤回だ。先に謝っておくよ。だから許して欲しい」
「どういうこと…きゃあ…」
アンジェリークの胸のリボンをセイランは素早く解く。
そしてジャケットを上手に脱がし、ブラウスのボタンに手をかけた。
「あまりに無粋すぎるんだ。その服が」
呆気にとられているアンジェリークに構うことなく、セイランはブラジャーのホックに手を伸ばして外し、
スカートのファスナーを下ろして、放り投げた。
「いやっ…」
羞恥心で悶えるアンジェリークを、ベッドに押し倒し、覆い被さったセイランは、
「黙ってくれないか」
と耳元で囁きながら、アンジェリークの最後の砦の小さな布さえ奪い去ってしまった。
すべてを剥かれてしまったアンジェリークのみずみずしい裸体が、セイランの目に飛び込んでくる。
桜の花びらを散らしたような乳首はどこまでも可憐で、無意識の内にセイランの指が伸び、触れていた。
「あっ……」
手にあまるぐらいのふくよかな乳房は、蕩けるのでは？と思えてしまう。
「酷い…こんなのって」
アンジェリークが抗議の声をあげた。
「綺麗過ぎる君が、悪い」
どこ吹く風で、飄々とセイランは言ってのけると、またしても芸術家としての目線でアンジェリークを
眺める。
そんなセイランの視線から逃れようとアンジェリークは両腕で隠そうと必死になった。
しかし、華奢なアンジェリークの腕では、限度がある。
「そろそろ観念して、大人しくしてくれ。僕は君を描きたいんだから」
そう言い放つと、セイランはスケッチしようとして、身体を起こそうとした。
すると、
「セイラン様は狡い…」
アンジェリークが呟くと同時に、セイランの視界が真っ黒になった。
「…！！」
「これ以上は駄目です」
アンジェリークの反撃だった。
セイランの瞼にアンジェリークの掌がかぶさっていた。
「困ったね。これでは描けないよ」
「描かなくていいですからっ！！」
アンジェリークの手首をセイランはつかんで、視界をクリアにした。
飛びこんでくるのは眩しいまでの恋人の顔。しかしアンジェリークは眉を寄せ、怒ってる雰囲気がひしひしと
セイランにも伝わってくる。
「怒らなくてもいいだろう？ いきなり服を取ったのは謝る。ごめんよ。だけどね、君は本当に
綺麗なんだし、こんな素晴らしいモデルが目の前にいるというのに、描くなとは酷すぎるよ」
「そんなの知りません」
恥じて抗う相手をセイランはしっかりと押さえつけ、この状況から脱するために、アンジェリークの唇に
キスをした。
アンジェリークの身体が強張るのがわかったが、唇を離す気はさらさらなかった。
セイランはアンジェリークの情熱をかきたてようと、閉じていた唇を舌でこじ開け、丹念になぶる。
長く甘いキスのせいで、アンジェリークの強張りも解れて、抵抗も完全に止んだ。
「それでいい」
セイランはゆっくりと身体を起こし、
「じっとこのままでいてくれ。誰よりも綺麗な君を描くから…」
と、デッサンしようとベッドから離れようとした、その時。
「嫌、行かないで…」
セイランの首にアンジェリークの腕が絡み、訴えかけるような目でセイランを見つめていた。
「ここにいて…お願い」
素直に思うままを口にするアンジェリークの、つくろわない清らかさが可憐に滲み出て、セイランは
溜息をついた。
セイラン自身も熱く昂ぶってきてしまった。
このままデッサンなどできそうにない自分を感じながら、目の前の神々しいまでの美しい少女の胸に
顔を落とす。
「僕は…今まで君を天使だと思っていたけど、間違っていたよ。君は…女神だ。限りなく危険な、ね。
女神の君に僕が逆らえるわけがない…」
窓からは月の光が冴え冴えと射しこんで、恋人達を照らす。愛の疲れでアンジェリークはセイランの
腕の中で眠っていた。
その寝顔を愛しげに見下ろすセイランはそっと呟いた。
「やっぱり僕に人物画は描けそうにないよ。アンジェリーク。君のすべては描ききれない」
非常にお待たせしました。セイラン×アンジェリークの甘々をと、リクエスト下さったのですが、危険なのは
もしかしたら、私の頭の中かもしれません（泣） 最初はもっと甘く、格調高く、ロマン溢れた感じに
しようと思っていたのですが、気がつけば、こうなってしまいました。しかし、私なりに頑張りましたので
どうかこれでお許し下さい。かなり強引で申し訳ないです。
しかし、セイランってやっぱり私好きですわ。ちょっと恥ずかしいセリフであっても、似合う。オスカーより
似合ってるかもしれませんわ。