巡る運命の輪 〜勃発〜
ブリテン領国主・レヴィアスの后である私が処刑を免れた事件から暫く。 同じブリテン領にある、とある貴族の館の中では内輪でバロックの音楽会が 開かれていたのです。 チェロにヴァイオリンにコントラバス・・・各々がパートの音階を使いこなして くつろぎの音を奏でていました。 ・・・しかし、この音楽会はもう一つの意味を持った集まりだったようです。 この地の領主に焦点を置くことにより、連合国全体を巻き込む重大な出来事の 幕開けのための・・・ 久しぶりに、心身ともくつろいでいたレヴィアス様と私は、さり気なく 使われたステンドグラスの窓から差し込む七色の光を全身で浴びながら 軽く、ワインを傾けていたのです。 レヴィアス様は、５年物のロマネ・コンティを。私は、同じ物を 温めて酒精を飛ばしたホットワインに蜂蜜を垂らした物を楽しみました。 と、その時です。 大理石で作られた床はちょっとした音でも反響致します。 ですが、それ以上にせっぱ詰まった足音が廊下から聞こえてきました。 レヴィアス様は、やれやれと言った風情で椅子から離れると、豪奢な扉を ゆっくりと押し開けて、廊下を見渡したのです。 「どうしたのだ。騒々しいぞ。」 レヴィアス様の呼びかけに、安堵の表情を浮かべた小姓でしたが、 走り回ったせいか未だに吐く息が上がっています。 ですが、切れ切れに息継ぎされる様とは裏腹に、顔色は真っ青なのです。 尋常でない小姓の様子に、レヴィアス様も真顔になっていました。 主が自分の話を聞く体勢が出来たことを読みとった小姓は、 上がる息を落ち着かせると、 「レヴィアス様・・・国王陛下より緊急のお召しです！ 陛下の宿敵・ルーシニア国とブリュッセル国が連合してリステニアの境界線 に軍を集結させているとの情報が入りました。 陛下には、レヴィアス様を筆頭に各領国主に召集の激を飛ばして いらっしゃるとの事です。一刻も早く召集に応じよとのご内意でございました。」 「なに・・・っ！？」 目の前の小姓の口から聞いた事実は、レヴィアス様の声を奪うのに足る出来事でした。 レヴィアス様の驚きの声と同時に、私は席を立っていました。 その時、知らずに倒してしまったグラスから赤い中身がこぼれます、 テーブルクロスを濡らし床に滴り落ちるその様子は、あたかも人間の血を思わせる ような朱でした。 まるで、これから流される血の朱を示すような・・・ 小姓の知らせを聞き、緊急参謀会議を開いたレヴィアス様は、自らが国王の元に 赴くため、国事をタレイランを筆頭にする元老院に預けました。 領国主を示す冠を大祭司に委ねると、すぐ、陸・海軍の司令官を召集し 国防に当たらせる連隊と、自らが率いる精鋭主体の連隊を選択したのです。 迅速かつ的確な判断が必要とされるこの時・・・ 全ての手配が終わった後、レヴィアス様はおひとりで私の寝所にいらっしゃいました。 「レヴィアス様・・・」 「すまん、エリス・・・今、大丈夫か？」 「何をみずくさい事を仰るの？貴方が望むなら、いつでも宜しいのに・・・」 今までとは違うレヴィアス様の様子に疑問が残りましたが、それ以上の何かを感じた 私は、思わず夫に縋り付いてしまいました。 ・・・そうしないと、彼がどこかへ消えてしまうと思えたのです。 「ありがとう、エリス。お前はいつも優しいのだな。」 「優しいだなんて・・・もし、そう見えるのでしたら貴方にだけです。 私がいつでも逢いたいと思っているのはレヴィアス様だけですから・・・」 思ったことを正直に言ったのですが、私の言葉を受けたレヴィアス様が少し はにかみながら微笑んで下さいます。 そして、 「エリス・・・私も、お前をいつも感じていたい・・・だが、状況がそれを許さないのだ。」 力強い腕で私をご自分の方に引き寄せたレヴィアス様は、苦しげに息を潜めながら 呟いていました。 「レヴィアス・・・」 「・・・今度の戦争は、歴史に残る大戦となるだろう・・・陛下も敵方もあらん限りの 手を駆使するだろうからな、いつも先鋒を承っている私は、死地に立つことも 多くなる・・・」 ”死地”という単語がレヴィアス様の口から吐いた時、息も詰まるかと思うほど 抱きすくめられます・・・ 戦は生死の間の中で行われる物。分かってはいても・・・命を惜しんでしまうのは 大切な物がある故の感情。 レヴィアス様も、私と同じ事を思っていらっしゃるのが痛いほど分かります。 私は、動きにくい手を動かして彼の君にしがみつくと、 レヴィアス様の温もりを刻み込むように身体を密着させました・・・ 暫くの間寄り添っていると、ふと、レヴィアス様が腕の拘束を弛めて下さいました。 遠ざかった温もりに思わず涙が溢れそうになりましたが、 妻としての役目を思いつつ、涙を堪えながらレヴィアス様を見上げます。 「平和の為の戦いでございますね・・・引き留める事は出来ないのは分かっています。」 「エリス・・・もし私が戦死するようなことがあれば・・・」 一瞬、秀麗な眉を歪ませたレヴィアス様でしたが、 両肘を上げながら首の後ろに手を回し、守りの印として 土の精霊に貰った玉を入れたペンダントを外したのです。 外したペンダントを私の手に握らせながら、言葉を続けられました。 「これを土に帰してくれ。」 「レヴィアス様・・・いけませんっ！これは、あなた様を護るため・・・っ」 レヴィアス様を護っていた宝・・・それを手放すなんて思っても見なかった私は 驚愕で、手の中の物をレヴィアス様に戻そうとしましたが、 力強い腕の感触と唇に触れてきた熱さが、私の言葉を呑み込みました。 吐息をもからめ取ってしまうような口付けに翻弄された私は、 唇から開放されたときには、すっかり抵抗する力を無くしていたのです・・・ 「私を護っていた物だからこそお前につけて欲しいのだ。」 にっこりと微笑みながらそう言って下さるレヴィアス様。 見慣れたはずの彼の君なのに一瞬どきりとさせられた私は、力強い瞳に 吸い込まれたまま、目を離すことができませんでした。 そして、ふわりと私を抱きしめたかと思うと私の耳元でそっと囁いて下さったのです。 「タレイランの能力はずば抜けた物があるが、どうも嫌な予感が払拭できないのだ。 私の側には、レカルティアを筆頭に軍中の腹心を配しているから、軍に 関しては心配はないと踏んでいる。 獅子身中の虫は油断がならない。だから、これをお前に託すのだ。 くれぐれも、警戒を怠らないようにしておくのだぞ。」 優しく諭して下さる低いお声・・・ 私は一言も聞き漏らすまいとしていました。 そして、レヴィアス様がどれだけ私のことを気にかけて下さっているのかが分かった 私は、万感の思いを込めてレヴィアス様に伝えました。 「お言葉・・・しっかりと心に刻みつけます。ですが・・・生きてお帰り下さい・・・必ず。 エリスは、あなた様のお帰りをいつまでもお待ち申しあげております。」 その夜、私達は何時になく相手を求め合いました。 身体で感じる温もりが、たまらなく愛しくて、恋しくて・・・ この夜ほど、永遠に夜が明けなければ良いのにと感じたことはありませんでした。 ですが、時間は無情です・・・ 愛し合った私たちの身体に、澄んだ太陽の光が朝を知らせます。 何時も通り身支度を終えた私は、戦支度をすませたレヴィアス様の所へ挨拶に参ります。 「レヴィアス様、ご武運をお祈り申し上げております。」 きらびやかな鎧を身に纏った背の君に形式に則った挨拶を申し述べます。 そして、自国で作ったワインを少量注いだ杯を勧め、私も杯を持つと 二人で乾杯をするのです。 この風習は、国を離れる前に必ず行う儀式。 ”自国で作った物を食した者は必ず自国に戻る”と言われているからなのでした。 ワインを干した杯を受け取った私は、侍女が捧げ持つ盆に二つの杯を戻しました。 儀式が終わったレヴィアス様はマントを翻して下に出ると、揚々と軍を率いて 国王陛下の元へ向かったのです。 そう、私があの方の鎧姿を初めて見たあの時と同じ様に、いえ、 その時以上に威風堂々とした姿で・・・ 私はどうにも後ろ髪引かれる思いが拭いきれないまま、 彼の君が率いる軍が見えなくなるまで バルコニーに立ち続けて見送っていました。 そう・・・最後のお見送りとは思わずに、いつまでも・・・ ですが、私にはある予感があったのです。 ブリテン王国の血は決して無くならないと・・・ この血を護るためならば、いくらでも強くなってみせると決心していました。 続く |
ううううう、何だか悲劇に突入しているような…気がします。
次回で終りだそうですが、ああ、王という重要な立場であるがゆえに
また、后という立場ゆえに、辛い選択をしなければならない。
でも、勝手な私の予想ですが、きっと希望はありますね。
ね、春明さん！！