End of diary
何度聞いても、信じられない事実。
何度聞いたところで、信じたくない事実。
嘘だ、と笑って過ごせるならば、何度だって聞いてやる。
だが、耳の奥で幾度も木霊する、知らせに来たメイドの声。
『レヴィアス様――――、エリスが、亡くなりました―――――』
互いに誓ったはずだった。
一生、傍にいると。
エリスが自分を裏切るはずはない。
彼女だけが、唯一、この寒々とした城の中で、レヴィアスが心安らげる存在、
信頼できる存在だったのだ。
そのことを最もよく分かっていたのは、他でもない、エリス本人では
なかったのか。
『レヴィアス、もうあの娘のことは忘れなさい。それが私たちの、･･･いえ、
あなたの為なのよ』
凡そ息子に向けるべきものとは思われない冷ややかな声で、「あの女」が
説得にかかってきたことも、今はどうでもよかった。
所詮、贅沢に目が眩んだだけの、浅はかな女の言葉だ。
その存在自体が嘘で塗り固められたような女の言葉など、
誰が信じられるものか。
今にも、この私室の扉を開いて、エリスがそっと姿を見せるような気がする。
「レヴィアス、･･･入ってもいい？」と、小さく囁きながら。
信じられないだけなのか、信じたくないだけなのか。
いずれにしても、レヴィアスには自室の静寂が今は耐えられそうになかった。
かといって、普段のように酒場に繰り出すような気は、起こるべくもない。
彼は、手をついていた窓辺からふらりと離れると、覚束ない足取りで
扉の外へと足を向けた。
向かう先は、エリスの私室。
住み込みメイドの彼女の部屋など、いくら落ちぶれた一家の者とはいえ、
皇帝の縁者である以上、レヴィアスはその場所さえ細かくは知りはしなかった。
だが、足が勝手にメイドの居室のある棟へと向かう。
細い螺旋階段を昇り、この辺だろうかと当りをつけたその時、
廊下を右に曲がった奥で、何やらお仕着せのメイド服に身を包んだ女達が
数名、廊下へと荷物の出し入れをしているらしい光景が目に入った。
「お前達･･･、何をしている」
レヴィアスが問い掛けると、そこにいた若い二人のメイドは振り返るなり、
瞬時にびくんと震え上がった。
「あ、あの、･･･レ、レヴィ、アス･･･さま･･･」
一人が震える声を漸く発し、もう一人は両手をわななかせている。
すると開いた扉の内側からもう一人の、やや年長らしきメイドが姿を見せ、
同じく不安げな顔色を浮かべたものの、何とかまともな受け答えを返して来た。
「レ、レヴィアス様。今は、あの、･･･奥方様に命じられて、その･･･エリスの
所持品を片付けているところです･･････」
レヴィアスは、何も答えなかった。
そして無言のまま、顔色一つ変えずつかつかと室内に足を進める。
その様子にただならぬものを感じたメイド達は、ひとまず今はここを退散
したほうが良さそうだと判断し、レヴィアスに目礼すると、
あっという間に姿を消した。
「エリス･･･」
狭い部屋の中は、既にある程度の荷物が運び出された後らしかった。
据え付けのベッドと箪笥が剥き出しのまま残っているくらいで、
エリスの私物らしきものは殆ど見当たらない。
だがそれでも、レヴィアスは目を閉じて彼女がこの部屋にいる様を
思い浮かべた。
この小さな空間で彼女は生き、眠り、何かを思っていたのだ。
物は無くとも、彼女自身がこの部屋には染み付いている。
そう思うと、一層、彼女がひょっこり姿を見せるのではないかという気に
させられる。
「あっ･･･！！レヴィアス、どうしてここに？！もう、来ちゃだめだって
言ったじゃない」
仮にも皇族のあなたにあんなところに来てもらう訳には行かないと言って、
レヴィアスが自室に来るのを拒んでいたエリスだ。
きっとここで鉢合わせたら、真っ赤になって怒り出すに違いない。
レヴィアスは、そっと目を開いた。
エリスが「帰ってくる」気配は一向に無い。
エリス、エリス･･･本当に逝ってしまったのか――――――？
――――――この俺を置いて？
何気なく目を転じると、小さな文机がぽつりと置かれていた。
レヴィアスはそれに近づき、両手をばんと付く。
「く･･･そ･･･」
嗚咽と共に、机の上で握り締められた拳に、彼は額を付いた。
「何故だ･･･、何故･･････」
どのくらいの時間そうしていたのだろう、レヴィアスは諦めたように机から
その身を引き剥がした。
だがその時、まだ俯いたままの視界に、机の下に備わった引き出しが
入り込む。
何気なくそれを開けてみると、中にはノートが一冊だけ。
レヴィアスはそれを取り出し、一ページ目を開いてみた―――――
『１１月２日
今日からお城で働くことになった。ここでのお給金が、弟の学費の足しに
なればいいなと思う。それから、メイドの仲間や奥方様と仲良く出来るとい
いな』
どうやらそれは日記らしかった。
レヴィアスは夢中でページを繰る。
『１１月７日
仕事はやっぱり大変。だけど、どんなことでも最初が辛いって言うから、も
うしばらくしたら、私もお役に立てる日がくるかもしれない。･･･そう出来る
ように、頑張らなくっちゃ』
何かに取り憑かれたように、目で文字を追いかけるレヴィアスには、
同じ言葉が彼女の声で響いてくるかのような気がした。
『１１月１２日
今日、初めに私の指導についてくれた先輩のメイドさんが、辞めていった。
大好きな人と出会って、結婚するって嬉しそうに言ってた。私もいつか、結婚
したいなあと思える人に出会えるのかな･･･』
『１１月１５日
今日初めて、奥方様のご子息のレヴィアス様とお会いした。って言っても、
私の方を向いてはくださらなかったから、お顔はよく見えなかったけど。でも、
どこか寂しそうな感じだった―――』
「エリス･･･」
無意識の内にレヴィアスは呟きを漏らしていた。だがそんなことはどうでも
よく、彼はひたすら日記を読み進めた。
『１月２４日
今日は寒い日だった。私がお庭仕事で思わず手に息を吹きかけてたら、
レヴィアス様が丁度通りかかられて、私にマントを差し出してくれた。私は
叱られるからとお断りしたけれど･･･嬉しかった』
「エリス･･･我はあの時、『丁度』通りかかったのではない･･･」
レヴィアスの脳裏に、その時の光景が甦った。
思えば人に何かしてやりたいと思ったのは、そう思って自然と身体が動いた
のは、あの時が初めてだったような気がする。
『３月２０日
昨日のパーティの準備の時にレヴィアス様と二人っきりになって、あの時
から、どうしても気になってしまう･･･。私は、私はひょっとして･･･レヴィ
アス様が･･･。だけど、私はしがないメイドで･･･あの方は皇族の方で･･･や
さしくしてくださるからって、思い上がっちゃいけないわよね』
『５月６日
今日は忘れられない一日―――。レヴィアス様が、私のことを好きだって
言ってくれた･･･。今、嬉しくて嬉しくて、涙が出そう』
『７月１１日
レヴィアスを探しに行ったら、やっぱりいつもの酒場でひとりで飲んでた。
私には、何かしてあげられないのかな･･･。彼の傷ついた心に、何か少しでも、
手助けはできないのかな』
『９月７日
昨日、日記を書けなかったのは･･･、レヴィアスの部屋に一晩中いたから。
レヴィアスは、今までで一番優しかった。今も、胸が、どきどきいってる･･･』
そして、更に読み進めていって、レヴィアスの目は次の日付のところで
はたと釘付けになった。
『１１月１９日
もうすぐレヴィアスの誕生日なのに･･･、どうしてこんなことになっちゃう
んだろう･･･。私、もう、レヴィアスと一緒にいられないの？レヴィアスとの
約束、守れないの―――？』
『１１月２１日
明日･･･、明日決めなくちゃいけない。でも、どうしたって、レヴィアスに
だけは話せるわけない。レヴィアス、レヴィアス･･･ごめんなさい･･･』
弱々しく、薄い筆跡で書かれたその記述を最後に、日記は途絶えている。
力なく白紙のままのページをめくりながら、レヴィアスは
無念さに唇を噛み締めた。
一体この行き場のなくなった思いは、哀しみは、どうすればいいというのか。
それと共に、今はまだ分からない、エリスを死へと追いやったものへの怒りも。
何が彼女を追い込んだのか。
それさえ分かれば、仇でも何でも打ってやるものを。
そうして無意識の内にページをめくっていた指は、ついに最後の一枚へと
辿り着いた。
仕方なくそれを閉じようとしたその時、レヴィアスの目に、最後のページの
下方に、小さな文字で数行書き込まれているのが目に入った。
レヴィアスは、ノートを持ち上げてそれを覗き込む。
『この最後に書くことが何かは分からないけれど、でも一つだけ。
レヴィアスと、私が、ここに日記を記す日も、一緒でいられたらいいな。
そして、次の日記も、その次の日記も、これから先、ずっと―――』
レヴィアスは、思い切り額をノートに押し付けた。
そうして顔を上向かせ、目を固く瞑る。
そうでもしないと、誰が入ってくるか分からないこの部屋で、
涙を流しかねない。
「エリス―――我の愛も、そして、これからの我の生も、全てお前のため、
お前のものだ･･･」
レヴィアスの呟きは、いつしか彼の内で、幾度となく繰り返される。
それは、まるで、呪いの文であるかのように。
やがて、言葉は、その思念は、現実のものとなる。
それが、あらたな悲劇を呼ぶものだとも知らず―――――――。
ルンナさんのご好意で、こちらのサイトでＵＰすることが出来ました。
恋の絶頂と言ってしかるべきなところで、エリスは死んでしまう…
レヴィアスに告げることなく…口を噤んだままで。
運命という言葉で片付けるのは簡単だけれども、でも、その当人達にとっては足掻き、もがき
血の涙を流しているような、切実さをこの二人に感じます。だから、私はレヴィ×エリが好きなのです。
ありがとうございます。ルンナさん こんな素敵なお話をくださって、私は果報者です。
ああ、もうルンナさんのいらっしゃる方向に足を向けて眠れないわ〜
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