「あ、もしもし、アンドリュー？」

さっきまで泣いてたのを、隠すように話した。

「今、ホテルにいるんだけど、勝手に帰ってごめんね。」

言うと、アンドリューの心配する声がした。

「よかった。どうしたのかなって思ってたんだ。　実は、シャルルさっき倒れちゃって、
今、付き添ってるんだ。」

え？

「疲れただけだと思うんだ。少し休めば大丈夫って言ってたから。」

ほっ。
疲れただけか。

「あたしが、いろいろと話しすぎちゃったのが悪かったのかもね。あんたが側にいれば大丈夫よ。シャルルの面倒見てやってね。　　それでね、急だけど明日、日本に帰ろうかなって思うんだけど。」

そう言うと、アンドリューは曇った声で言った。

「シャルルとは、もう話さなくていいの？」

「うん、もう言いたいこと、全部言ったし、あたしも仕事があるから、帰らなきゃいけないのよ。」

言いたいこといってないけど。
この場は、こう言うしかないもんね。

「そうなんだ。じゃぁ、飛行機のチケットはボクが用意するね。」

良かった!!
お金ないから、どうしようかと思ってたのよ。
さすが、アルディ家。
お金持ちっていいわぁ。
和矢ったら、帰りのチケットもくれりゃぁいいのに。
ま、こんなに早く帰るとは思ってなかったんだろうけどさ。

「ありがとう。それでね、シャルルにはあたしが明日、帰ること内緒にして欲しいの。シャルルのことだから、また、無理して倒られても困るから。」

そう、内緒にしておかなきゃ、意味がないのよ。
今度、会ったら、わけをしつこく、聞くに決まってる。

「うん、わかった。でも、ボク病院にいなきゃいけないから、悪いんだけど、明日の朝、
取りに来てもらってもいいですか？」

う、また、病院に行かなくちゃいけないのね。
仕方ない。
どうせ、朝早くだったら、シャルルはまだ寝てるだろうし・・・

「じゃぁ、明日の朝、取りに行くわ。」
言って、あたしは受話器を置いた。

次の日、朝、早くに起きて、ホテルをチェックアウトをして、病院に向かった。

ちょっと早すぎたかなぁ。
昨日は全然、眠れなかったんだもの。

おかげで目は、はれぼったくなって、充血してた。

うっ、うっ、泣きすぎたせいね。

病院に着くと、もう看護婦さんたちは、忙しそうに動き回っていて、その間をすり抜けて、
シャルルの病室に行った。

そっと扉を開けると、手前の部屋には誰もいなく、奥の部屋はドアが閉まっていた。

あれ、いない。

ここにいると思ったのに、アンドリュー、どこに行ったんだろ？

うーん、困ったな。

あたしは、辺りをぐるっと見わたし、自然とシャルルのいる部屋のドアに目がいった。

そこから視線を外せなくなって、じっと見つめて、一歩、二歩と歩み寄り、ドアの前に
しばらくたたずんだ。

この中にシャルルがいる。

シャルルがいるんだ。

会わないで、帰るって決心したのに。

この場に来て、気持ちがぐらついた。

なんて、人の気持ちは、こんなにもろいんだろう。

もう一度、あともう一度だけ、シャルルの寝ている顔を、見るだけでいい、
それで、本当に終わりにする。

終わりにするから・・・

そう思い、そっと、ドアを開けると、そこには誰も近寄ることができないくらい、
特別な空間があり、そこでシャルルは、天使が眠っているかのように、静かに
横たわっていた。

あたしは、ただ息を呑んで見つめることしか出来なかった。

美しすぎて、眩しすぎて・・・

そんなシャルルに、引き寄せられるように、ゆっくりと近づいていった。

シャルルの繊細な横顔、細くて長い指、零れ落ちるような、くせのない髪、
透き通るような白い肌。

今、この目にやきつけよう。
ずっと忘れないために。
もうこれ以上、好きになれないくらい、好きよ、シャルル。

無意識にあたしはシャルルの顔に身をかがめ、そっと触れるだけのキスをした。

甘美な唇に、最後のキスを・・・

さようなら、シャルル・・・

あたしがそっと部屋から出て行こうとして、入り口のほうに目をやると、
アンドリューが立っていた。

やばっ、見られた。
どうしよう。

慌てて、部屋を出て、アンドリューに目をやって言った。

「い、今の見た？」

そう聞くと、アンドリューは当惑した表情であたしを見て肯いた。

「マリナさん、シャルルのことが好きなんでしょ、黙って帰っていいの？」

ああ、あたしの気持ち、バレてる。
キスしてるところ、見られりゃ、誰だってわかるわよねぇ。
こうなったら、開き直るしかない。

あたしは真剣な顔でアンドリューを見た。

「お願い、今、見たことは絶対にシャルルに言わないで。
本当は、シャルルに好きだって言うつもりで、こっちに来たのよ。でも、いろいろあって
言うのはやめたの。
好きだけど、一緒になれないことも、あるんだってわかったから。シャルルが前にあたしに
してくれたことを、今度はあたしがするばんなの。」

あたしは息をついて、

「好きだから、あきらめる。彼の幸せがあたしには一番大事だから。」

はっきりそう言うと、自分の中で、ある種の満足感を得た。

シャルルの為にあきらめる、彼の幸せこそが、あたしのすべてだ。
こういう愛しかたも、悪くないかなって、思えた。

「でも、マリナさん、シャルルは・・・」

アンドリューは何かを言おうとしたが、あたしはその言葉をさえぎるように言った。

「チケット用意してくれてありがとう、元気でね。」

机の上に置いてあったチケットを持って、逃げるようにそこから出ていった。
決心が、鈍らないうちに。

空港に着くと、人がごったがえしていて、うろうろしてしまった。

頭の中は、日本に帰ったら、和矢になんて言おう、そればかり考えていた。
せっかく、あたしの背中を押してくれたのに。
あんたがくれたチャンス無駄にしてごめんね。

そんなことを考えながら、ボーッとしながら歩いていると、後ろの方で、あたしの好きな
透明な声が、かすかに聞こえた。

聞き覚えのある、その声は、あたしの名前を呼んだような気がした。

シャルル?!
まさかね。

あたしは立ち止まって、頭を横に振った。

そして、また、ゆっくりと空港内を歩きはじめると、もう一度、大きな声で、
あたしの名前を呼ぶのが聞こえた。

今度は、はっきりと。

「マリナ!!」

うそ？

なんで、シャルルの声が聞こえるの？

あたしは声のする方に、勢い良く振り向いた。

振り向くと、シャルルは、風のようにするりと、人の波をかきわけて、走ってくるのが
あたしの目に飛び込んできた。

白金の髪を頬にまとわせて、すごい速さで走ってくるのを。

シャルル?!
どうしてここに？

やがて、あたしの目の前に立ちはだかり、すごい勢いで、あたしの腰をさらい、
息もできないくらい、きつく抱きしめられた。

シャルルの広い胸に、すっぽりと顔を埋めてしまい、彼の鼓動が聞こえてきそうだった。

なんで？
どうして？
それだけしか、考えられなかった。

すると、あたしの頭上で、つややかな声がした。

「マリナ・・・二度と離さない。二度とだ。君はオレのものだ。」

え？
意味がわからないのよぉ。

なんで、あたしにそんなことを言うのか、全くわからなかった。
その言葉はあたしに言うのでなく、彼女に言うべきことだ。

やっぱり、頭を撃たれたせいかしら？

シャルルの胸から顔を少しそらして言った。

「シャルル、なんでここに居るのよ。あんた、言う相手、間違ってるわよ。それに、
走っても大丈夫なの？」

言うと、ゆっくりとあたしを抱く力をゆるめ、うっとりするほど瞳をきらめかせ、
甘い声で言った。

「君を失うぐらいだったら、オレの体なんてどうでもいいよ。」

ど、どうでも良くないのよ。

あんたの体のほうが大事に決まってんじゃない。

余裕な笑みを浮かべて、自信たっぷりに言った。

「オレを誰だと思ってるんだい、マリナちゃん？オレに間違いはありえないんだよ。」

その言葉に、妙に納得してしまった。
だったら、なんで、あたしに言うのかしらねぇ。

「君が幸せに対して不安を抱いていた理由は、オレがいないからだ、そうだろ？」

ひぇ〜、バレバレだわ。

「君はオレに、幸せになれと言ったけど、オレも・・・君がいないと幸せにはなれない。」

一度、目を伏せて、自分に言い聞かすように言った。

「幸せになれないんだ。」

へっ？
だって、あんたには彼女がいるじゃない。

「あんたには彼女がいるでしょ。キスするのだって見たんだから。」

するとシャルルは、あでやかに笑い、瞳をよりいっそう輝かせた。

「誤解だ、オレは彼女のことは好きじゃない。ただ、どうしても、彼女の城が欲しかったんだ。その為に、彼女と取り引きをした。彼女の望むものは、甘い恋愛と夢のような結婚だったからね。当主に戻れるのならオレは自分を偽ろうと思った。もう、一生分の夢も見たと思っていたしね。
でも・・・まさか君の心がオレにあるとは思わなかった。」

シャルルは夢見るように微笑んで、

「今でも、信じられない。」

ああ、彼女じゃなかったんだ。
あたしの勘違いだったんだ。

「すぐに、婚約は解消する。城は他の方法で手に入れてみせる、必ずね。」

「それから、マリナ、オレが寝てる間にキスするのは、ルール違反だぜ。」

うっ、なんで知ってんのよぉ。

あたしが顔を赤くすると、シャルルは目を少し細めて、言った。

「リューが全部教えてくれたよ、おしゃべりも、たまには役に立つもんだね。」

ああ、内緒にしてっていったのに・・・

シャルルの頬がしだいに、傾いていき、あたしの頬に近寄ってきた。

「マリナちゃん、これは罰だ。オレをだました罰と、寝ている間に口づけた罰、
受け取ってくれるね。」

そう言って、シャルルはあたしの頬を両手ではさみ、軽く口を開き、あたしに口づけた。
人が、いっぱい見てたけど、嬉しくて嬉しくて、気にならなかった。
あたしはシャルルの背中に手をまわして、一番いいたいことを言った。
一番、言いたかったことを・・・
心から、あんたに送るわ。

「あたしはあんたが大好きよ。大好き。」

シャルルはあたしを抱きしめる力を更に強め、彼の甘美な息遣いが耳元で聞こえた。

「ずっと、今までその言葉が聞きたかった・・・その一言だけでオレは十分だ。」


そして、あたしの髪に顔をうずめて
「オレはまだ、夢を見ることができるんだね・・・」


その後、シャルルはぶっ倒れ、またプラハ国立病院に運ばれ、絶対安静と医者からさんざん怒られ、あたしは放り出されたけど、めげないわ。
だって、やっと思いは通じたんだもの。
こうなったら、忍び込んでやるぅ。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

まっててね、シャルル。




Ｆｉｎ

Ｆｒｏｍ　マリナ